青眼と僕と冒険と

僕とブルーアイズが歩いた軌跡のお裾分け

エッセイ

 

 

今日は夜勤。

 

いつものように車を走らせ、職場近くの駐車場に車を停める。近所の庭から、梅の花がひとつ。ふたつ。

 

梅の花。

 

春はもうすぐに。

 

皆様こんにちは

yoshitakashiです。

 

今回は、ちょっと日記のようなものを。

 

遊戯王のお話ではありません。

 

ご了承ください。

 

最近、色々あったので、ちょっとひと休みしようかな、と。

 

Twitterだと文字制限があるから、なかなか綴れなくて。

 

なので、今日はブログにて…

 

思うこと

最近、こう思うのです。

 

「世界は案外明るいな」

 

なぜ?と問われるでしょう。

 

「梅の花が綺麗だった」

 

と返答いたします。

 

取るに足らぬ、ちいさなことです。

 

梅の花が、何の足しになるのでしょう。

 

やれ腹が満たるわけもなし。

 

やれ財布が潤うわけもなし。

 

ただ、それでも、

 

「綺麗だ」

 

と思えるだけで、

 

僕は幾分か心が明るくなるのです。

 

 

 

貴方の映る世界は、

 

どんなものでしょう。

 

明るいですか?

 

それとも暗くて重いですか?

 

たしかに、ここ数年で生きにくくなりました。

 

時代が緩やかに衰退しているのを、肌で、財布で感じます。

 

眉間に皺を寄せて、日々懸命に生きておられる方々の、なんと多いことか。

 

僕もそうです。

 

日々懸命に、

 

だけれど状況は緩やかに衰退し、

 

嗚呼もうダメなのかと、

 

僕もそう感じます。

 

 

 

けれども。

 

ふと顔を上げてみると、

 

あら空が綺麗だったり、

 

あら月が素敵だったり、

 

太陽が、風が、子どもたちの笑い声が心地よかったり、

 

梅の花が綺麗だったりすると、

 

「まだ大丈夫」

 

そう思えるのです。

 

貴方はいかがですか?

いま、お顔を上げる余裕は御座いますか。

 

いま、辺りを見渡す余裕は御座いますか。

 

いま、歩く余裕は御座いますか。

 

なにか、

 

なにか、在りませんか。

 

ほんのささやかな、

 

なにか。

 

貴方の心に涼風を与えてくれる、

 

なにか。

 

きっとあるはずなのです。

 

 

 

もし、もしも、

 

そういったものが感じられないのであれば、

 

それは、少し早めの、心のSOSなのかもしれません。

 

少し休みましょう。

 

僕のように。

 

休めば、いいことたくさん在ります。

 

一日二日。

 

一週間。

 

ひと月ふた月。

 

一年二年。

 

休みましょう。

 

辺りにある、ちいさな何かに気づけるようになるまで、

 

休みましょうよ。

 

僕のように。

 

ほら、僕なんて、

 

改行に改行をかさねて、

 

こんなにも余白だらけの記事。

 

だけれど、

 

これで良いのかな、と、

 

齢三十、漸く至りました。

 

改行に改行をかさねると、

 

あら不思議。

 

最近はね、

 

110円の珈琲で、自らを癒すことができるようになったのです。

 

社内にある、一杯の珈琲で、

 

「今日もいい天気」

 

そう思えるようになったのです。

 

 

 

「休んでしまうと」

 

「休めないから」

 

「頑張りたいから」

 

「頑張らなきゃ」

 

うんうん、なるほど、そうですよね。

 

けれど、いま、無理をしてしまうと、

 

いずれ立ち上がれなくなってしまうものです。

 

さぁさ、

 

未来のことは、

 

未来の貴方ご自身が、

 

なんとかしてくださいます。

 

未来の貴方が、

 

笑えるように、

 

現在の貴方は、

 

休むべきなのです。

 

 

 

きちんと休むと、

 

110円の珈琲で、自らを癒せるようになります。

 

そうしたら、

 

また歩けば良いのですよ。

 

ほら、梅の花が綺麗ですよ。